認知症を患っている家族と
コミュニケーションをとろうとするとき、
どんなことに気をつけたらいいと思いますか?

コミュニケーション、
一言でいっても

話しかけ方とか、話の聴き方、とか、相手との関わり方、とか、
そういうこと以前に、実はとっても大事なことがあるんです。


接する側、こちら側の「気持ちのあり方、態度」って、
不思議なもので、相手にはちゃっかり 伝わってしまうもの・・・。

いつも通り、ふるまっているつもりでも、
何でだろう。
こちらの思惑、というのは結構な確率でばれているものなんです(汗)


何の話がしたいか、というと、


認知症であっても
結構核心に触れた部分はちゃんと「感じとっている」ということ。


たとえば、

なかなかお風呂に入ってくれないお義母さん、
何とかして、今日こそはお風呂に入ってもらいたい、とか、


なかなかデイサービスに行ってくれないお義母さん、
今日こそはデイサービスに行ってもらおう、とか。

そういう ちえひめの「下心」的な思惑は、
不思議なくらい、お義母さんは感じとっしまっている、という事実。


だからこそ、抵抗するわけです。


いつもと同じように、促しているつもりでも、
接しているつもりでも、
きっとお義母さんにはバレバレなんです((笑)。


これは人が言葉ではなく
「存在」でコミュニケーションしている証なのかもヽ(^o^)丿

うーーーん、奥が深いですね。


ご家族が認知症になってしまったとき、


ちえひめの経験上、

まずは第一段階として、
その家族が「認知症である」ということを、
皆が認めるまでの葛藤の時期、があります。


次に、「認知症である」ことを認めたうえで、
自分たちなりに受け入れようとする時期、がやってきます。


そしてさらに、
「認知症だからしょうがないか」という、
ご家族としての「諦め」や「悟り」の境地が訪れます。


そうやって、自分のご家族が認知症であることを、
徐々に受け入れていくしかないのだと思います。


声のかけ方や声をかけるタイミングなど、
いつもはうまくいく方法で
今日、コミュニケーションをとったからといって、


いつもうまくいくとは限りません。


日によって通じたり、通じなかったりすることが多々あります。
不思議ですよね。


お互い人間ですから、


お互いの思いや思惑や
意地やプライドや
様々な想いが交錯する中での人間関係は、

それは一筋縄ではいきませんね。


介護する側も、
仕事として関わるのと、家族として関わるのは全く違いますしね。


頭でわかっていても 腹も立つし、
恨みつらみもあるでしょうし、

そこには情もあるし、歴史があるし・・・(笑)。


そうなると、こちらはもうお手上げなので、

「もしかしたらお義母さん、体調悪いのかな?」とか、
「もしかしたらつかれちゃったのかな?」とか、
色々理由を考えるわけです。


で、最終的に
「認知症だから仕方ないか」と、諦めちゃったりします。


というか、
諦めた方が精神的に楽なことも多いです。


でも、この「あきらめ」は、知らず知らずに
本人に伝わってしまうんですね。


こちらが 関わることを諦めてしまったり、
面倒くさいと感じたりすると、
不思議なくらい、伝わっちゃうんです。

そのあたりは 
人間の持つ本能なんでしょうか・・


そもそも人間って、
「この人とかかわるのは難しい」という思い込みがあると、

コミュニケーションをとりやすい言葉やタイミング、
場面などを見つける「観察力」や
相手の表情や反応から感情を読み取ろうとする「洞察力」が確実に鈍りますよね。


逆にいえば、
コミュニケーションが上手な人は、
こうした「観察力」や「洞察力」がたけている人が多いです。


つまり、
何よりも「コミュニケーションを諦めない」という姿勢が
大事だっていうこと。


でも、家族の場合、
分かってはいても、なかなか難しいですね。


どういう言葉で声をかけるか、
どういうタイミングで声をかけるか、
どのような場面で声をかけるかを配慮することで、

コミュニケーションがとりやすくなることよくあることです。
当然、コミュニケーションのテクニックは大切です。


でもテクニック以上に、

相手を理解しよう、
相手の立場になろう、
相手を包み込もう、という努力が大事だな、と思うんです。


諦めちゃうんじゃなくて、関わり続けることが、
認知症の家族と きっと上手に付き合うコツですよね。

うーーん、
ちえひめもがんばろう・・・。

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