認知症の初期に見られる症状の中に、hanshinabata-1-mini
“妄想”があります。

とりわけ、 「お金を盗まれた」、「○○を盗まれた」などの
“もの盗られ妄想”が有名ですね。


この症状が、認知症の初期に見られる症状だと言うことを、
ちえひめは最近になって知りました(笑)。

確かに、
いま思えば心当たりがたくさんあって、
なるほどーーーと思うわけです。


今年の1月から6月ぐらいにかけて、
一時期、本当に異常なぐらい、
お義母さんの「もの盗られ妄想」が激しかったんです。


銀行でおろしてきたはずのお金が見つからない、
お財布に入れてあったはずのお金が消えてしまった・・。
金庫に入れたはずのお金がどこにもない。



盗まれたに違いない。
いや盗まれたんだ。
うちには泥棒がいる。
犯人は分かっているんだ。
お嫁にきた時から怪しいと思ってたんだ。
分かってるんだ、犯人は ちえひめだ。
なぜなら、盗んだところを自分は見たんだから。


そうやって、
どんどんお母さんの中でのストーリーは出来あがっていって


ちえひめがお母さんのお金を盗むと言う
屈辱的なストーリーが出来あがり、


何かにとりつかれたように、
四六時中、私を泥棒扱いして、
暴言を吐きまくっていた義母・・。


実際には、なにも盗られているわけではないし、
自分が置いた場所を忘れてしまったり、
しまったことや使ってしまったことを忘れているだけなのですが、

不思議なことに、
自分が無くしたとか、使ったとは思わないんですよね。

ものがない(見つからない)=「盗まれた!」となるわけです。



「認知症」について書かれていたとある本に、
「このもの盗られ妄想は、
多くの場合は無くしたものが見つかれば収まります。」
と書いてありましたが・・・、

そうでもないんですよ、
実際は(笑)。


たとえ見つかっても、
「あらあったわ」って一言言うけど、

「ちえひめにものを盗られた」という思い込みは、
本人の中では「事実」として残るんですよね。


しっかりと「記憶」に刻み込まれる・・。


ものが見つかったら、解決するか、って言うほど
単純なものではないんです。


だから、

毎回「なくなったもの」は見つかるけど、
「見つかった」という事実は記憶に残らないから、

いつまでたっても「ものを盗まれた」という思いだけが残り、
蓄積されていくんです。



この妄想は、
特に身近な人に向けられることが多く

一番身近の一番頼りにしている人、
甘えている人、に向けられるんだそうです。


我が家の場合は ちえひめに向けられます。

一番身近で介護している人、
一番感謝しなくちゃいけない人を、
泥棒扱いする、
これは本当に厄介です。



色々なものを犠牲にして、
介護をしているお嫁さん側の立場からしたら、
これはもうたまらないですね。

特に、我が家の場合、
お義母さんのちえひめに対する「依存度」は、
よくもわるくも半端なく高く・・

頼りのされている、
といえば聞こえはいいですけど、
とにかく「依存されている」状態なわけです。


心身ともに、ちえひめに頼り切っているお義母さん。


そこには遠慮はないし、気遣いもないし、
感情をむき出しでぶつけても、
受け入れてもらえる、という甘えがあるわけです。


絶対にちえひめが自分を見捨てない、
そう信じている反面、

いつか捨てられるかもしれない、
という恐怖も存在するわけです。

だから、ちえひめに

「お前なんかこの家を出ていけばいい」
「この家は私の家だから、お前の自由にはさせない」と
豪語する一方で、

「この家を出ていくのは自由だけど、
子どもたちはこの家の子だから連れて行っては駄目だ」
「出ていくなら子どもたちを置いていきなさい」
「でも、子どもにとって母親は大事だから、子どもを捨てて出て行ってはいけない」

と、良く分からないことを平気で言う訳です。


出ていけ、といいつつ 
出ていくな、という(笑)。

どちらもきっと、
お義母さんの本音なんでしょうね。

出ていかれたら、生きていけないけど、
分かってはいるけど、出ていけと言ってしまう。

ある意味正直な人です(笑)。



認知症の初期に起こる「もの盗られ妄想」、

介護をしている側の人間にとっては、

「こんなに面倒を見ているのにどうして疑われるのか」、
「認知症の症状だと分かってはいるけど……」と

とってもやりきれない思いをする、
認知症特有の症状です。



そしてさらに厄介なのが、

この「もの盗られ妄想」は、
認知症の初期段階に起こるため、

認知症だと知らない周囲の人は、
患者さん本人の言うことを信じてしまうんですよね。

だから、お義母さんの友人だったり、親戚だったりは、
お義母さんの話を鵜呑みにして、

ちえひめがとんでもない
「悪い嫁だ」と信じ込むんですね。

これは結構つらいことです。


子どもたちだったり 旦那さんだったり
実際に一緒に生活している人は、何が真実か分かるわけで、

ちえひめが無実だと言うことを分かってくれているものの・・

ご近所さんや、親せき筋は、
お母さんの言うことを信じるから、厄介ですよね。

認知症が進んできて、徘徊が始まったり、
ご近所さんとのトラブルが多発したり、

まわりのだれが見ても「おかしいな?」って状態になってくると、
みんなちえひめに対する見方も変わってきますが、
最初は本当にしんどかった。


いつの時代も嫁さんは悪者、なんですよねーーー。
でも、最後の最後まで 介護するのはお嫁さんだし、
おむつ取り換えるのも、お嫁さんなんですよね。

ご飯作るのも、お薬もらいに行くのも、
通院につき添うのも、

入院したらしたで、毎日病院に通うのも、
みーーんなお嫁さんなわけです。

どんなにお義母さんに嫌味を言われ、
ののしられても(笑)。


やってられるかーーーー!って思う反面、
やっぱりね、
一緒に10数年も暮らしていると、そこに情は湧くわけで、

見捨てられないし、
やっぱり大事なんですね。
家族だし…。

病気になれば心配だし、
泣かれればかわいそうになるし、

ニコニコ笑ってる顔を見ると、
こちらも幸せな気分になるし、

単純に喜ぶ顔が見たいと思うし、
穏やかな顔が見たいって思う。

何だかんだ言ったって、
やっぱり、大事な人なわけです。


うーーーん、
世の中って難しい・・・・・(笑)。



お父さんの時は、
肝臓がん末期で在宅でしばらく寝たきりだったけど、

頭はしっかりしていたから、
そういう変な苦労はなかったんです。


おむつ替えてあげたり、

便秘で苦しむお父さんのカチコチに固まった便を
ビニール手袋をはめて、指先でかき出してあげたり、

膀胱にたまった尿をうまく出すことができなくて、
お腹が張って苦しむお義父さんに
生まれて初めてカテーテルの管?で導尿してあげたり、

看護婦さんが病院でやるようなことを、
訪問看護婦さんの指導のもと、在宅でも色々やりました。

足浴の仕方もマスターしたしね(笑)。

結構色々体験しましたよ。

お母さんの場合は、そういうことはまだ必要ないんですけど、
でも、認知症の方の介護、って
また別の苦労がありますね。

ちえひめは両方経験できたから、
ある意味幸せなのかも、と思ったりまします。

介護、って 遠いようで 身近な課題。

自分には関係ない、と思っている多くの人にとって、
いつかある日突然、自分の問題になりかねない、

遠くて近い、問題ですね。

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